【コラム】見えるものと見えないもの/安達ロベルト

2021.10.22 BLOG

32歳になろうかという頃の話である。

ずっと写真とは無縁な生活を送っていた。視覚情報を残すことよりも、何を経験し、何を考えたかを大切にしたかったからだ。カメラは所有していなかったし、所有したいとも思わなかった。

ところが、あるとき雑誌で、石川文洋さんのアンコールワットの写真を見て人生が変わった。かつて戦場だった頃のカンボジアを撮っていた文洋さんが平和になってから撮ったその写真に、カメラはアートのツールになる、写真をやらなければいけないと直感した。

文洋さんが使っていたのはライカだった。付けられていた3種類のレンズのうち、最も惹かれたのが35ミリレンズだった。一緒にコラムを連載する光栄があると当時は夢にも思わなかった内田ユキオさんの本を穴が開くくらい読んで納得したうえでそのレンズを買った。

人はあっさりと変われるものである。寝ても覚めても写真のことを考え、どこに行くにもカメラを持ち歩き、世界をライカのレンジファインダーを通して見るようになった。それまで否定的に見えていたものでさえ、すべてが興味深く、美しいものに見えた。

レンジファインダーはその性質上、そこに見えるものとレンズが捉えるものには誤差がある。35ミリ枠は、実際の写真よりも若干狭い範囲を示す。しばらく後になって、それが40ミリレンズの実写範囲にほぼドンピシャリであることを知った。

今でもそのファインダー、その枠で覗くと、見えるものすべてを条件反射的に肯定したくなる。

最初のデジタルカメラは、初代GR DIGITALだった。一般ユーザー向けの発表会に参加し、発売当日に量販店で買った。

35ミリに慣れていた目が28ミリのおいしいところ、つまりスイートスポットを見つけるのには少しだけ時間を要した。多くの人が28ミリを愛するのには理由があるはずだ。もともと超広角から超望遠までどの長さのレンズでも抵抗なく使えるタイプの人間だが、それぞれのレンズのスイートスポットを探すのには時間をかける。

28ミリでは、ビビって寄りが足りなければ腰抜け写真になり、アグレッシヴに寄り過ぎれば強いパースがつく。

ところが、その中間の、ほどよい距離感で対象と対峙して撮るとき、35ミリにはない「何か」が写っていることを発見した。目には見えないがその場でたしかに心身で感じている「何か」が。

以来、28ミリに魅了され続けている。

以上、見えるものを肯定する40ミリ、見えないものを可視化する28ミリ、というきわめて個人的な話である。

GR IIIxで撮影

 
ーーー 
安達ロベルト(Robert Adachi)
人がどのようにつながり、創造するかに常に関心を持ち、十代で外国語、プログラム言語、絵画を学び、大学で国際法と国際問題を学び、22歳で作曲を始め、32歳のとき独学で写真を始める。GR DIGITAL III、GXR、GRのカタログ写真・公式サンプル写真を担当。「GRコンセプトムービー」の背景に流れるオリジナル音楽を作曲。ファインアートの分野で国内外で受賞多数。主な出版に写真集「Clarity and Precipitation」(arD)がある。
www.robertadachi.com

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