【SENSE】VOL.3 ハービー・山口さん

2021.12.03 BLOG

 
写真を学ぶ学生に、次の様なことをよく言います。

「ポートレイトやスナップなど、被写体が人間の場合、写真家は被写体のことを良く観察していると思っているけど、被写体の方々は、もっと写真家のことを観察しているかも知れないよ」。

人間と人間がかけ合わさって出来上がるのが、私の様なポートレイトやスナップですから、そこに心の交流というものがあってこその写真があると思います。

もちろん、写真の撮り方は多種多様ですから、全ての場合に当てはまることはありません。お相手の方が気が付かないうちに、さっと撮影する手法もあります。
またモデルを使って演出する場合は、撮影者の意図を理解してくれて、その意図に従ってモデルを勤めて頂ければ良いわけです。

私の場合は、撮影者と被写体の方とのある種の連帯感とかがあっての表情を撮っているという場合の話です。
とは言うものの、写真家の人格、人柄は大切だと思っています。


さて、なんでハービーっていう名前なんですか?と良く聞かれます。
音楽界でしたらご本名とかけ離れたアーティスト名で活動していらっしゃる方も多いですが、写真界ではあまり例がありませんから当然の質問です。

チャラいのは重々承知していますが、この名前が私についたのは私が20歳くらいの時でした。近所の友人たちとバンドをやっていました。
私のパートは、中学一年生の時にブラスバンド部で経験したフルートでした。
中学2年生で写真部に入部して現在に至りますが、バンドに参加した時にフルートを再び手にしました。

そのバンドの中で、ある時、一人一人に洋風の名前を付けようということになりまして、私の場合はジャズフルーティストの「ハービー・マン」からこの名前を頂戴しました。他のメンバーにはジェフとかポールがいました。皆日本人です(笑)。
数年前、「崖の上のポニョ」の主題歌を歌っていた小学生に女の子がいらして、その彼女の後ろには男性の二人がいてギターやコーラスでサポートしていたんです。
この二人がジェフとポールなんです。

私は音楽の才能がないので活動は辞めて、ロンドンに渡り10年間を過ごしました。

さて、この名前にこだわる理由なのですが、私が生後まもなくカリエスという結核性の病気を患い、腰椎という腰の骨にかなりのダメージを受けました。一人では歩くことが出来ませんでした。コルセットを装着してやっと小学校に通っていました。
体育の授業はずっと見学です。友達はほとんできませんでした。
将来の希望も夢もなく、一人フラフラとしながら孤独と絶望の中で、やっと一日を生きて行くのが精一杯でした。

今年出版された歌人の有沢蛍さんの歌集にこんな一文がありました。

「山口君はいつもグラウンドの隅に座って泣いていた」。

有沢さんは、当時私と同じ小学校の同学年で、同じくカリエスを患っていました。
このカリエスという病気についてですが、私がジェフやポールとグループに参加していたのとほぼ同時期かその少し前だったか、健康診断を受けた結果、お医者さまからこんなことを言われました。

「長い間、苦労したと思いますが、山口さんのこの病気は、現代の医学ではこれで治ったことにしましょう。背骨がかなり変形してしまっていますし、成長期に運動もせず、長い間コルセットで固定していたので体は大きくなりませんでしたけど、気を付けていけば、これからも生きていけるのではないでしょうか、、。」

初めて生きる希望を公的に感じた瞬間だった。
以前から薄々心の中で描いていた、この「生きる希望」を写真のテーマにしようと確信したのでした。
そしてこの時期に降って湧いたハービーという名前で、拾い物の残りの人生を精一杯生きてみようとふと思いついたのでした。

今思い返しますと、この病気の経験がなかったら、私の写真はまた違ったニュアンスになっていただろうと想像します。

「温かい、優しい写真ですね」と良く言われます。
これは私の病気の経験から「生きること」への憧れと、「生きて行こうとしている人」への共感の結果だと思います。

インタビュー中に「ネガをポジにする」という箇所がありますが、今では病気を経験したことをポジティブに捉え、「個性を作ってくれた経験」として受け止めています。

写真という表現手段、そしてそれをサポートしてくれる数々に、カメラに恵まれて私は幸せな人間だと強く思います。
 

 
ハービー ・山口 
1950年 東京都出身 
1973年、23歳で渡英し10年を過ごす。その間、劇団の役者を経て写真家になる。折からのパンクロックムーブメントを経験し、ミュージシャンから市井の人々までを撮影したロンドンでの写真が高く評価された。帰国後も福山雅治を初めととするアーティストから広く街の人々にレンズを向け、常に「生きる希望」をテーマとして撮影を続けている。写真の他、エッセイ執筆、ラジオのパーソナリティー、さらにはギタリスト布袋寅泰のアルバムには作詞家として参加もしている。
個展写真集多数。大阪芸術大学および九州産業大学客員教授
2011年度日本写真協会作家賞受賞


★special thanks:
中目黒 HUIT
siki daikanyama
paper pool

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