作曲の修行をしていた頃の話である。
一念発起して作曲家に弟子入りしたものの、クラシックの素養もなくピアノ演奏さえままならなかった22歳にとって、修行は思うようにいかないことの連続で、当時住んでいた鎌倉の海をよく泣きながら歩いた。
それでも夢を持ちつづけ、少しずつできることを増やしていった結果、いったん大きくマイナスに振れた自信のメーターも少しずつ上昇し、徐々に仕事をもらえるようになった。
同じ頃、コーヒーにも目覚めた。ベートーヴェンの例を挙げるまでもなく、コーヒーは古今東西のアーティストに愛されつづけている。その文字通りの覚醒効果は、あいまいなインスピレーションに秩序を与え、ネガティヴな思考をポジティヴに変換する。
作曲の仕事だけでは生存するのがやっとだったので何かほかの仕事をしなくてはと、パートタイムでコーヒーの仕事を始めた。当時まだ日本にはほとんど入っていなかったイタリアの最高級エスプレッソマシンのあるカフェで。
そのころは一般的な日本の人々の間でエスプレッソの認識はほとんどなく、あっても凝縮された苦いコーヒーくらいでしかなかった。だが、本当に美味しいエスプレッソは、深く甘い。
ネルドリップとエスプレッソがコーヒー抽出法の双璧だと思っている。どちらも濃厚な味になるが、ネルドリップが時間をかけて抽出し、その積み重ねを味に反映させるものである一方、エスプレッソはその名の通り素早く豆のエッセンスを抽出する。一眼レフとGRのようなものだろうか。
なんでも徹底的にやりたがる性格だから、あるとき著名な作家の本に紹介されるほどその仕事にも熱を入れた。
だが、バランスを取るのは常に難しく、コーヒーに熱中しすぎるとその分作曲が疎かになり、まとまった量の曲を書くためにコーヒーの仕事を休むとその分生活は苦しくなった。
それだけ熱中したのだから、当然、コーヒーの道へ進むことは何度も考えた。音楽業からコーヒー業に転身した人も知っている。おそらく今でもバリスタとしてバーに入れば、それなりの仕事をするだろう。
だが、その方向に踏み切るには至らなかった。それは一重に、何千回何万回と抽出しても、才能を信じるに値する特別な1杯、誰かを涙させるような1杯、残りの「命」を費やそうと思える1杯を抽出できなかったからだ。
人が生涯に与えられている時間は限られている。つまり時間は、命とイコール。
命を費やすに値する仕事って何だろう。
いまでもカフェに行くと、熱くコーヒーを抽出していた頃の自分がいる。ちなみに、抽出する湯は、熱すぎても味を損なうのである。
GR IIIxで撮影
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安達ロベルト(Robert Adachi)
人がどのようにつながり、創造するかに常に関心を持ち、十代で外国語、プログラム言語、絵画を学び、大学で国際法と国際問題を学び、22歳で作曲を始め、32歳のとき独学で写真を始める。GR DIGITAL III、GXR、GRのカタログ写真・公式サンプル写真を担当。「GRコンセプトムービー」の背景に流れるオリジナル音楽を作曲。ファインアートの分野で国内外で受賞多数。主な出版に写真集「Clarity and Precipitation」(arD)がある。
www.robertadachi.com