進学のために上京する少し前、買ったばかりの一眼レフで鳩を撮った。子供の頃、毎日のように遊んでいた河原で、暖かい日差しを浴びながら丸く膨れて休んでいる鳩だった。望遠レンズを通してファインダーで眺める像は、ただそれだけで写真を撮っているような気分になった。
それが初めて表現というものを意識した瞬間だとすると、写真を志すようになって25年ほどが経つ。キットレンズ付きの一眼レフから始まり、ずいぶん色々なカメラを使ってきたが、考えてみるとGRはそのなかで最も長い時間を共にしてきたカメラであるように思う。
学生のとき、森山大道が胸ポケットからそのカメラを出す姿に憧れてGR1を持つようになり、既に20年以上になる。作品や仕事の撮影には大型カメラや一眼レフを用いることがほとんどだったが、スナップや日々の記録といった日常において手にするのはいつもGRだった。何を撮ったかというより、なんでも撮ったと言ったほうが良いカメラで、自分の反応をただひたすらダイレクトに記録するために持ち続けてきた。
デジタルに持ち替えてからは、大体数か月に一度、1,000~2,000カット程度撮影した頃合いでメモリーカードからPCへデータをバックアップし、ざっと写真を眺める。ひしゃげた空き缶、空に浮かぶ雲、仏像の手、マクロモードで撮影した植物といった、何かしらの作品のための習作だと思われる写真もあれば、水疱瘡になった娘の背中だとか、変えたばかりの自転車のサドルなどといった、日常の記録と思われるものもある。巨大なビールジョッキを片手にした友人の笑顔や、大学での実習中、学生に構図を教えるために撮ったのであろう、微妙なフレーミング違いの写真なども混在し、その写真群はまさに自分の生活の残像であり、記憶そのものである。そう考えると、GRは少なくとも自分の視覚の延長であり続けてきたし、少し大げさに言うなら、私を構成する装置のひとつとして組み込まれてきたと言っても良いだろう。
GRで撮ることを目的に、片手に携えて渋谷を歩く。そんなことは久しぶりだった。普段は、今撮りたいと思ったときに出てくるカメラがGRだというだけだから、なんだか、改めて向き合うと少し照れ臭いような、そんな気がした取材だった。
大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「reGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)等多数。2011年日本写真協会賞新人賞受賞。東京工芸大学芸術学部非常勤講師。日本写真芸術専門学校講師。