もしかしたら近い将来の話。
世界的なパンデミックで国境を超えた行き来ができなくなり、ここ2、3年は精神の内側での旅をつづけてきたが、そろそろ外側の旅にも出たいと思い始めている。その間にGR IIIxも手に入れた。
旅とカメラの関係は深い。
見知らぬ土地に行くと、人は写真を撮りたくなる。脳が新しい情報を記憶しようとするからだ。カメラをいわば外付けメモリにして、初めて見たものの情報をそこに保存し、脳を補完しようとする。
ところが、どんな土地を旅しようと、ある程度の時間を過ごすと、旅の興奮や写真を撮る欲望が薄れる。
実は、写真家の真価が発揮されるのはそのときからだ。本来の独自性ある視座で撮り始めるからだ。
むしろ、そのハネムーン期が過ぎるのを待たずとも、世界中どこへ行っても最初から毎日住んでいる土地であるかのように撮れるのが、優れた旅写真家かもしれない。
世界中が撮影し尽くされている今日、真新しい旅写真が撮れる可能性なんて、宝くじに当たるくらいの確率かもしれない。だからこそよけいに、世界中どこでも独自の視座で撮ることが大切なのだと思う。
ロバート・フランクはどこで撮ってもロバート・フランクだし、米田知子はいつでもどこでも米田知子だ。
ところで、生まれて初めての旅が、十代でのアメリカでだったが、それは旅と呼ぶにはあまりにも日常過ぎた。観光はなく、公立の高校に通い、現地の人と同じように生活した。異文化にアジャストすること、ホストファミリーと仲よく過ごすこと、学校の勉強に追いついていくことに必死で、写真を撮るなんて考えもしなかった。
そのせいか、旅は好きだが観光にはさほど興味がない。何を見るかよりも、何を体験し、何を感じ、何を考えるかが大切だと思っている。
だが、写真をやるようになってからは、少し意識が変わった。自然、建築、人など、目に見えるもののなかに美を見つけることも、等しく大切で、魅力的だと思うようになった。
外側に見える世界は内側の投影。それを君はどう解釈するのかね、とカメラは問う。それに写真家は視座で答える。
どうフレーミングするのかだけでなく、何にフォーカスするのか、どれくらいの光量で世界を照らして見たいのかを瞬時に考え、決断する。写すのは、情報でなく、視座。
多すぎる選択肢は、視座に迷いを与える。次の旅には、単焦点レンズのついたフィルムカメラ1台とGR IIIxだけを持っていくことにしよう。思えば、40ミリレンズを持って旅したことはない。旅写真のインスピレーションになることだろう。
Photos taken with GR III
安達ロベルト(Robert Adachi)
人がどのようにつながり、創造するかに常に関心を持ち、十代で外国語、プログラム言語、絵画を学び、大学で国際法と国際問題を学び、22歳で作曲を始め、32歳のとき独学で写真を始める。GR DIGITAL III、GXR、GRのカタログ写真・公式サンプル写真を担当。「GRコンセプトムービー」の背景に流れるオリジナル音楽を作曲。ファインアートの分野で国内外で受賞多数。主な出版に写真集「Clarity and Precipitation」(arD)がある。
www.robertadachi.com