【SENSE】VOL.9 中藤毅彦さん

2022.11.01 BLOG

 
この時代「言葉」というものが過剰に重視され、理屈やコンセプトばかりが先走った難解な写真作品が巷にあふれている。
それはそれで良いのだろうが、スナップショットを撮る時に理屈が入り込む余地など無い。

スナップを言葉で語るとすれば、それは全て後付けの理屈でしか無く、街を歩き、直感に身を任せて「あっ」と思った瞬間に身体の反応で「パッ」と撮る事が撮影の全てだ。
街路でのスナップに限らず、人とコミュニケーションを取りながらの撮影でも全く同じ事で、あくまでもコミュニケーションに徹しながら、その表情や仕草に直感で反応してシャッターを押すのが良いポートレートの秘訣だと思う。
余計な思念が入った時にシャッターチャンスを逃しているものだ。

そして、写り込んだ偶然に撮り手の意識が反映される事で表現として成立するのがスナップの醍醐味であろう。やがてはその堆積が時代の記録となっていく。
地球上のどの場所でだれがどこで撮っても良いのがスナップであり、マナー的な問題を除けば、本質的にスナップは自由な表現なのだ。
そうした意味で、スナップに深いも浅いもなく全てのスナップの価値は等価と言えるだろう。

しかし、実は、優れたスナップとつまらないスナップの差は確実に存在する。
優れたスナップは、間違いなく全てカッコいいのだ。
「カッコいい」などと言うと低レベルな話と思われる向きもあるだろうが、それは「カッコいい」という事の真の意味を理解していない。
格好つける事と格好いい事は全く違う。
人間にしてもそうだろう。表面的な流行のスタイルで身を固めたところで、その人がカッコいい訳では全然ない。
真にカッコいいスナップとは、例えば撮り手の生きた時代や場所が的確に捉えられていたり、人々の中に飛び込んでその姿を活き活きと捉えられていたり、身につけた技と直感で奇跡的な瞬間を捉えていたり、あるいは美意識が画面に満ちあふれていたり、何かしら突出したものがある筈だ。
それこそが、スナップ写真家の「個性」であり、単に街を歩いてシャッターを押した写真が芸術表現として成立する大きな理由である。

もちろん、カッコいい写真を撮るには、天性の才能が必要かも知れないし、または人生をかけて撮り続け、経験や修練を積む事で辿り着ける領域かも知れない。
いずれにしろ、理屈をつらねても撮れるものではなく、簡単には身に付かないものであるからこそのカッコ良さなのである。
僕が若き日に刺激を受けたスナップ写真家達の写真は皆、間違いなくカッコ良かったのだ。
だからこそ、憧れもしたし、更にカッコいい写真を撮って乗り越えたいと思わされ、そうした写真を見る事が自分の指針となり、励みになったのだ。

もし、いつかその領域に達する事が出来るのなら嬉しい。
出来る事は、ただひたすら歩き、撮り続け自分の写真と向き合う事のみだ。
 

 
中藤毅彦
1970年東京生まれ。東京ビジュアルアーツ写真学科卒業。
都市のスナップショットを中心に作品を発表し続けている。 国内の他、東欧、ロシア、キューバ、パリ、ニューヨークなど世界各地を取材。 また、裸のラリーズ、ゆらゆら帝国、恒松正敏などのロックミュージシャンのオフィシャルカメラマンを担当するなどアーチストの撮影も行う。

作家活動と共に、東京四谷三丁目にてギャラリー・二エプスを運営、展示の他、ワークショップ等多数開催。
写真集に『Enter the Mirror』、『Winterlicht』、『Night Crawler』、『Sakuan,Matapaan-Hokkaido』、『Paris』,『STREET RAMBLER』がある。

第29回東川賞特別作家賞受賞。第24回林忠彦賞受賞。



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