わずか数行を連ねただけで、何もなかったところに街が立ち上がり、人が行き交い、声を持って動き出す。ほとんど奇跡と言っていい。
ひとつのセンテンスを書き加えると色づき、さらにひとつのセンテンスによって音や香りを持っていく。
訪れたことがない場所、生きたことのない時代、触れたことがないもの、出会ったことのない人、それさえ数十文字を積み重ねれば登場させることができるのだ。
そんな言葉の力、文章の魔力に、ずっと魅了されてきた。
けれども写真だったら、一冊の本で語ろうとしていることを、たった一枚の、静止した映像で提示することができる。
文章に魅了される一方で、写真の力を信じてきた。
言葉さえも無力に感じる瞬間がある。自分が知っている言葉をどれだけ集めても、いま見ているもの、いま感じていることを、正確に表せないだろうと感じることがある。
そのときカメラがあれば写真に撮ることができるのだ。
焦点距離が違う二種類のGRがあることは、文章に置き換えたらどんな意味があるだろう?
主語が二つ使えるのに似ているのではないか。「私」と「彼」のように。広角レンズのほうが主観的だとされているから、GR IIIは私で、GR IIIxは私たち、かもしれない。
私だけの小さな物語が集まって、みんなの物語が紡がれていく。それは元々のGRが持っていた世界観に近い。
私たちの物語が重なっていくことで、つながりが生まれていく。それがこれからのGRが描いていく世界なのではないか。
内田ユキオ(Yukio Uchida)
1966年 新潟県両津市(現在の佐渡市)生まれ。公務員を経てフリー写真家に。
ライカによるモノクロのスナップから始まり、音楽や文学、映画などからの影響を強く受け、人と街の写真を撮り続けている。執筆も手がけ、カメラ雑誌や新聞などにも寄稿。著書「ライカとモノクロの日々」「いつもカメラが」など。
現在は写真教室の講師、カメラメーカーのセミナーなどでも活動中。