夏が嫌いだ。異常な気温やびかびかした風景、遊びがいのない服装、そして硬く鋭い光。そのどれもが好きではない。夏のあいだは毎日のように、冬の装いや、まるく輪郭のない光のことを考えている。
だから私は、予定がなければ日中はほとんど外に出ない。空調が効いた部屋で、冬の映画を観たり、暗室作業など家でできる仕事をして過ごす。けれどこのままだと、一歩も外に出なかった日になってしまい、それはそれで負けた気がするので、そういう日はたいてい日が落ちてから散歩をする。
この街に引っ越してきてから、もう少しで一年になる。これまでは、あたらしい家に住んだらすぐに周辺をくまなく散歩して、お気に入りの場所を見つけていた。けれど今の家ではそれができていない。どの駅からも徒歩20分以上離れているがために、自転車や車での移動が中心になっていることや、家のなかの改装に時間を割いていたことが理由だと思う。
適当な服を着て、ポケットに鍵とGRを突っ込み、スマホを持たずに家を出る。瞬間、湿度の高さに引き返そうか悩むが、どうにか散歩をしたい欲が勝って、いつもと逆の方向に歩き始めた。いつからか私は、なんとなく、で写真を撮ることをしなくなっていた。近年セットアップの作品制作を続けていることや、フィルム代の高騰が理由かもしれない。撮らないことをマイナスに思うわけではないが、時折さみしく思うことはあった。GRを手にしてからは、少しづつ、なんとなくで撮ることができるようになった。
夜の散歩は、何かを考えることが多いように感じる。日中の景色と比べて、情報量が少ないからだろうか。目の前の風景とは無関係に、買い忘れていたものや、次の作品の構想が浮かんでくる。持続音の音楽を聴いているときと少し似ているかもしれない。
ある程度歩いて行き着いた団地の中にあるベンチで、コンビニで買った缶ビールを飲みながら、私はひとりの男の子のことを思い出していた。最近まで、家のすぐ近くに配送業者の営業所があって、その前にある自販機のあたりに、いつも決まった時間にその少年はいた。小学校中学年くらいだろうか、夏だろうが冬だろうが半袖短パンで、鞄を持たず、iPadだけを抱えて彼は立っている。いつでも変わらないその風貌が印象的だった。
彼はいつも周りをきょろきょろと見渡して、誰かを探しているように見えた。何度もその姿を見かけているのに、そこに現れるところも、誰かと合流しているところも見たことがない。近所の友だちと待ち合わせをしているのか、もしくは親御さんの帰りを待っているのか。私は彼のことが気になった。
つい最近、例の営業所が閉店し、これから荷物の発送はどうしようとか、いつも親切に接してくれる受付の方と会えなくなることを、すこし寂しく思っていた。そういえば、ちょうど営業所がなくなって以来、例の男の子を見かけていない。
なるほどそういうことかと、勝手に納得をして、なんとなく団地の写真を撮り、私はまた歩き始めた。
木村和平
1993年、福島県いわき市生まれ。東京在住。
ファッションや映画、広告の分野で活動しながら、幼少期の体験と現在の生活を行き来するように制作を続けている。
第19回写真1_WALLで審査員奨励賞(姫野希美選)、IMA next #6「Black&White」でグランプリを受賞。主な個展に、2023年「石と桃」(Roll)、2020年「あたらしい窓」(BOOK AND SONS)、主な写真集に、『袖幕』『灯台』(共にaptp)、『あたらしい窓』(赤々舎)など。
Kazuhei Kimura (@kazuheikimura)