【コラム】「気配」と写真/大和田良

2023.10.27 BLOG

 
撮影者の気配を限りなく消してくれるというのは、良いカメラの条件のひとつであると思う。
 
特に、海外で撮影しているとそれを感じることがある。撮っていると思われること自体がリスクになる環境は多くあるし、高価なカメラを持ち歩いていると分かると、余計なトラブルに巻き込まれる可能性も高くなる。この夏撮影に行ったフィリピンも、そのような国のひとつだった。イメージとしては、ビーチリゾートや綺麗な海を想像する方も多いかもしれないが、ストリートを歩くと決してそれだけではないことがよく分かる。
 

 
着いて最初の日、僕はGR IIIと共に、レンズ交換式のミラーレス機を持ってストリートスナップを行ったのだが、ミラーレス機を手にする機会は早々になくなっていった。少し大きな、高価そうなカメラを持っているだけで物売りや物乞い、あるいは子供たちがわらわらと寄ってきてしまう。しまいにはその行列につられ、野良犬までもが寄ってくる。

これでは撮影にならないと、僕はその日の夜に最低限の現地の言葉を覚え、次の日からはなるべく持ち物を減らした上で、ポケットにGR IIIだけを入れて出かけることにした。少しでも現地の言葉を使うと、人々の反応は全く変わる。元々が陽気で人と話すのが好きな質の人が多いから、金勘定なしに会話をしてくれる機会が増える。
 

 
大きなカメラを持つと刺すように感じた視線も、手のひらに収まる小さなコンパクトカメラで手早く撮影しているとほとんど感じられなくなる。GRは良い意味でぱっと見では高級そうに見えないし、こちらの存在感を増幅させることもない。本気で撮っているという感じが出ないのも良い。コツを掴めば撮影している気配そのものをほとんど消すことができ、見た目にはただ淡々と歩いているだけのように見せることも可能だ。もちろん、人の視線が欲しいときには、カメラを意図的に意識させることもできる。「撮影している日本人」という異物感を極力なくすことは、写真そのものに大きく関わる。こちらの緊張感は、不思議と周囲に伝わる。凝視するように見つめれば、あちらからも同じように注目される。

ストリートスナップには、ただただ歩き眺める、その軽快さと瞬間を捉える反応が肝要であり、それを実現できるカメラが不可欠だ。あ、と思ったその瞬間には撮影し終わっているというのが理想だろう。

 
学生時代、森山大道先生が講義で仰っていた「気配に向かって撮れ」という言葉が、最近になってようやく深く理解できるようになってきた。なんらかの「気配」にレンズを向けるということは今までにも実践していたのが、それに加えて気配を察するのは撮影者である自分だけで良いということを意識するようになったからだろう。周囲には自らの「撮ろう」という気配を悟られずに、街に溶け込むように歩き続ける。それは、時に撮ることそのもの以上に重要なことだと思うようになった。

そんなことを考えていたらふと、打たれずに打つ、というボクシングの基本が頭に浮かんだ。似ているような、全然違うようなと思いながら、マニー・パッキャオやノニト・ドネアといった、フィリピン出身のボクサーのことを思い出していた。
 

 
 
大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
www.ryoohwada.com
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