ちょっと前に、あるタレントさんが「実際にものを見ることは、写真を撮ることよりも大事。カメラではなく目で見よう。残せる安心感よりも残せない緊張感を」と語っていたのを読んだことがある。
この意見には多くの賛同が寄せられていて、最近の「インスタ映え」の風潮への苦言にもなっていた。実際、飲食店で注文したのにも関わらず、食べないで写真を撮ったら帰ってしまう客への困惑がニュースにもなっていて、写真を撮る行為への懐疑的な意見も多い。
スマートフォンの普及とともに、写真を撮ることが当たり前になった現在ならではの問が出てきた。最近では路上での撮影行為が禁止されたかのように感じてしまう。
でもね、撮りたいんです。
カメラを持たずに外に出てしまった時の心細さと言ったら。大御所と呼ばれる写真家の中には、外出時にカメラを持ってきていないことに気がついて、うろたえてしまう方もいるくらいだ。
生きていることと写真が結びついている。写真を撮る行為が作品を撮るためとかではなく、日常を生きるためのペースメーカー的な役割になっている気すらしてくる。
何を撮っているかと言えば、はたから見ればなんでもないような、およそ「映え」とは程遠いものだったりするが、本人には気になってしょうがないものだったりする。
そして、写真を撮ることで、世界の見え方が変わってしまうことが稀に起きる。誰かとの繋がりや共有ではない、それは撮影者だけが知ることができる。駅から自宅までの10分、いつも見慣れた道であっても、カメラを持てば違ったものに見えてくる。
小説家の吉行淳之介の著書に「角の煙草屋までの旅」という随筆がある。写真家の須田一政は、そのタイトルを借りて写真集を作った。その序文には「自宅からさほど離れていない距離でも、カメラを構えると日々の光景に敏感になる。今日はいつも新しい」とある。これこそが日々写真を撮る理由。写真を撮ることは「残すため」だけではなくて「発見」することでもあるのだ。
というわけで、僕のリュックには常にGR3xが入っているわけだ。
渡部さとる
1961年山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ、報道写真を経験。同社退職後、スタジオモノクロームを設立。フリーランスとして、ポートレートを中心に活動。2003年よりワークショップを開催。
最近ではすっかりYoutube「2B Channel」の人として認識されている。おかげさまでその功績が認められて第33回「写真の会賞」特別賞を受賞しました。現在慶應義塾大学大学院非常勤講師でもあり、近著には『撮る力見る力』(ホビージャパン)がある。
Satoru Watanabe@watanabesatoru2b