【コラム】「雪」と写真/大和田良

2024.01.26 BLOG

氷点下の吹雪の中、強い風に吹かれながら、液晶に映った朧げな木々のシルエットに焦点を合わせ、シャッターを切る。撮り終えると、スノージャケットの胸ポケットへGRを戻す。
 
雪山を巡ることは、私の冬の趣味のひとつだ。写真家という職業に紐づければ、それは写真を撮るためだろうと思われるだろうが、あまりそういう目的は強くなく、ただ雪山の景色を眺めトレッキングし、スキーで走り抜けているだけで十分である。
 
ただ結果的に、都市を歩いているときと同じように写真は撮りたくなるわけで、常にカメラは持ち歩いている。

 
考えてみると、私の幼い頃の記憶は、雪の景色からなることが多い。
保育園で雪をぶつけ合っていた記憶、近くのマンションの階段をソリで滑り降りて思い切り転げ落ちた記憶。あるいは、友人たちと雪山で過ごした日々などのことである。もっと最近で言えば、汗だくになりながら娘たちにプルークボーゲンを教えたことや、ホワイトアウトして何も見えないなかで、手を繋いで視界が開けるのを待ちながら話したこと。雪の風景は、私の記憶の多くの舞台を担っている。

そんな記憶の積層がもたらすものなのか、私には雪の風景というものがとても豊かで奥行きのある、立体的なものに見える傾向があるように思う。それは、真夏の東京で照り輝く高層ビル群を眺めたときの、妙な書き割り感とは対照的で、自分にとって妙にリアリティがあって落ち着くものである。実際に自分の目で見るだけでなく、例えば映画でいえば「レヴェナント」とか、小説だとジャック・ロンドンの「火を熾す」などの、雪景色を舞台にした創作物も、それだけで入り込んでしまう。

 
考えてみると、そこまで思い入れがあれば、写真作品としても昇華できそうなものなのだが、なかなかそうはならないのが不思議なところだ。もう何十年にわたって各所の雪景色を撮り歩いているから、撮影した写真は数え切れないほどあるわけだが、どうもまとまらない。ハッとして撮る、というところまでは都市でのスナップと一緒なのだが、雪を撮影したものには、特別な意図もなく、狙いもない。ただ撮りたいように撮っている。目の前の景色に見惚れながら撮っているだけなのだろう。
 
そんなことを、ここ数年強く意識するようになり、少しずつ見返しながら、どうにか組み合わせつつこのようなエッセイを書く機会などに発表するようにしている。

 
ただ、撮る意識はなかなか変わらない。そもそも撮っているときは、雪景色でも都市風景でも、人物でも、その場の直感に従って撮影することが多いため、いざ撮るとなると、自分の直な反応に身を任せることになる。そうなるといつも通り、ただ雪の風景に惹かれながら撮るというだけになるのである。
 
私は普段から様々なテーマを並行して、日々制作をしているが、雪に関することだけは、なんとも取り留めがない状態から一向に変化がない。ただ、別に悲観しているわけでもなく、そのうち閃き、リンクすることもあるだろうと、また来週は湯沢か、白馬か、それとも裏磐梯かと、雪山へ足を向け続けている。

 

大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
www.ryoohwada.com
https://www.instagram.com

 
 
 

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