私は手のひらに収まるサイズの古いものが好きで、古道具屋や蚤の市で好みのものを見つけては、反射的に買ってしまう。古物に関心を持ったのは、上京して少し経った10代の終わりごろだった。当時は今以上にお金がなかったので、いわゆる希少性とか、どこ製の何年代のものであるとかで選ぶのではなく、ただ ”好きな見た目のものが安く手に入る” という観点で、古家具や置物を買うことから始めた。
10代の頃住んでいた街に、古道具屋というよりはリサイクルショップに近い存在のお店があって、暇があればそこへ行く生活をしていた。街中華ほどの広さの店内に、大きな家具から小さな置物まで、完全に空間のキャパシティを超える量の古物がひしめきあうように並んでいる。私はそこに長い時間滞在し、川辺で砂金を探すようにして、気に入るものを見つけては購入し、部屋を作り上げていった。光るものを見つけたときはもちろん、何も見つからなくても、探すという行為自体が楽しかった。
あれから10年以上が経ったいまも古物への関心は続いているが、この数年で気になる対象が少しずつ変わってきた。
以前は具体的な用途ーー棚や照明、花瓶、あるいはモチーフがはっきりとした置物などーーが決まっているものに関心をもっていたが、最近は本来の用途がよくわからないものや、本来の用途を超えた良さが感じられるものに惹かれるようになった。
三箇所くらい、私がよく行く古道具屋があって、それらのお店には共通する点がいくつかある。昔通っていたお店よりも圧倒的に商品の数が少なく、行くたびに並んでいるものががらっと変わること、そして、いわゆる希少性ゆえの価値付けではなく、店主の独自の美意識によって価値付けがされていること。共通点はあれど、各店主の審美眼によって作られた空間は、それぞれ全く別の空気をまとっている。
例えば、経年により日焼けした紙製の箱や、使われないまま発掘されたビニールテープ、傷だらけのガラスの板、軟膏を入れられそうなケース、やたらと長いマッチ、ねずみではないがねずみにしか見えない文鎮。それらの置き方と、そばに置かれた別のものとの関連性によって、まったく新しい光を放っている。
気に入ったものを買ってきたら、まず写真を撮ることにしている。黒い紙の上に置いて、GRのマクロモードで、なるべく時間をかけずにぱぱっと撮る。ただただ個人的な楽しみとして、これからも続けていきたいと思う。
少しずつ集めた小さなものたちを、部屋の一角に置く。その日の気分によってものを入れ替えたり、少し向きを変えたり、隣のものとの関係を探っているとあっという間に時間が経ってしまう。
家のものを並べることと、展示の構成を考えることはとても似ている。並べているときに、ふと展示のアイデアが浮かぶこともある。私にとって、とても重要な時間だ。
木村和平
1993年、福島県いわき市生まれ。東京在住。
ファッションや映画、広告の分野で活動しながら、幼少期の体験と現在の生活を行き来するように制作を続けている。
第19回写真1_WALLで審査員奨励賞(姫野希美選)、IMA next #6「Black&White」でグランプリを受賞。主な個展に、2023年「石と桃」(Roll)、2020年「あたらしい窓」(BOOK AND SONS)、主な写真集に、『袖幕』『灯台』(共にaptp)、『あたらしい窓』(赤々舎)など。
Kazuhei Kimura (@kazuheikimura)