【コラム】「呼吸」と写真/大和田良

2024.07.26 BLOG

ボクシングを始めて、12年ほどになる。34歳のとき、ふと思い立ち、今のうちに始めておいた方が良いことはなにかと考え、考えた末に一番体力的にきつそうで、かつ技術力が重要となる類のスポーツがそれではないかと思い至ったのがきっかけである。

それから、柔術道場やキックボクシングジムなどいくつかに体験入門し、最後にコレだと決めたのがボクシングだった。決め手は、体験入門の次の日に最も身体中に筋肉痛が残ったことと、信じられないくらいの量の汗をかいたからだった。

プロボクシングのイメージが強いかたの中には、ボクシングはとても危険なスポーツだと思っているかたもいるだろう。始めてすぐの頃は、確かにマススパーリング(軽く当てる程度の実戦形式の練習)でも目の上を腫らしたり、肋骨を痛めたりしていたが、怪我の度合いからすれば、私が他に行う(行ってきた)サッカーやバスケットボール、スキーといったスポーツのほうが危険性は高いことが実感できる。

ある程度の技術を持つようになると、適切な体重同士で、ヘッドギアと大きめのグローブをつけて行うマススパーリングは、殴り合いというよりは駆け引きとディフェンス、その合間に交わすカウンターと正確なジャブの交換が主となる。下半身から肩への回転によって力を伝えれば、フルスイングする必要などないし、何よりも余計な力を使うことは、最も重要な呼吸が乱れることに繋がる。

呼吸をすることの重要性について身をもって知ったことは、ボクシングで学んだ技術において最も肝心なものだった。人間は呼吸をせずに拳を振り回すと、数十秒で限界を迎える。始めてマススパーリングを行ったとき、1ラウンドで目が回り、息切れと共に動けなくなってしまったことを思い出す。集中し、脱力し、適切な呼吸を行うことは、普段の生活でも大いに役立つ技術となった。

そんなことを鍛錬している間に、気づくと十年以上も経ってしまったのだが、汗を流し続けたこのボクシングジムが、ビルの契約の関係で移転せざるを得ないことになった。

ある夕方、いつもよりも少し早めにジムに行き、私はその「場」の記録をすることにした。レンズ越しに眺めるジムの景色は、いつもとは全く違うものだった。職業柄か、レンズを通すと自らの主観的な思い出や情よりも、そこにある風景やモノの質感、その「場」を構成する様々な要素そのものに、より客観的な判断を意識してフレーミングを行うようになる。そんな時にも、呼吸は役に立つ。呼吸を忘れるほど被写体にのめりこむと、客観的な記録性がどうしても薄れるような気がする。浅く、あるいは深く、絶えず呼吸しながら集中することで、より的確な判断を保てるように思える。

これは、果たして写真の技術と言えるものなのだろうか。それにしても、写真を撮るための呼吸法というものを技術として体系化するのは、なかなか難しそうだ。

 
協力:山龍ボクシングジム
 


大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
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