日本のスナップ写真文化というのは意外なことに、欧米においては珍しい存在なんだそうだ。
SNSが普及するのと同時に海外でも日常を写真に収めようとすることが当たり前になってきているけど、日本はSNSなどがない時代から「写真=スナップ」と思われてきた。もちろん報道や商業用途での写真は戦前から存在していたが、木村伊兵衛、森山大道と、長い間スナップ写真は日本ではメジャーな存在だった。
しかし欧米の写真表現の中に「ストリートフォト」はあっても「スナップ」というジャンルはない。オランダ在住の評論家でありキュレーターのトモ・コスガさんは「スナップは表現以前」ということを自身のYouTubeで語っていた。スナップ写真には表現の目的がないからだ。
欧米の写真教育では、まず表現する目的があって写真を撮ることを教えている。いや、現在の日本の写真教育も目的が最重視されているのには変わりはないはずだ。
彼らは常に「あなたは何を撮りたいのですか?」と聞いてくる。これは僕にとっての“呪いの言葉”だった。そんなことは分からないのだ。なぜかそこにカメラを向けてしまう。もしかしてそれは過去に影響を受けた写真家の模倣かもしれないし、記憶の再認識かもしれない。しかし撮る時にそんなことは一切頭に浮かんでこない。ただそこにカメラを向けるのだ。
「撮る」という行為は被写体となる「もの」への距離を確認しているのに近い。相手が人だとわかりやすい。あなたと私の間にある間合いだ。「間合い」とは「私とあなたの関係性」。
それは 2メートルなのか、1.8メートルなのか、1.2メートルなのか。10センチ違っただけで、体は大きく反応を変える。それはものであっても風景であっても同じ。どの距離でどの角度で見るか。それに尽きる。
若い頃「まず見なさい」と何度も言われてきた。そう言われても当時はファインダーの中で絵を作ることが全てのように思っていた僕にはその意図が理解できなかった。見るとは間合いのことだったのだ。
この連載にも書いたが「そこにカメラを置く」ということにつながっている。
写真を撮ることと武道は限りなく似ている。どちらも間合いを大事にする。それは自分が能動的に決めるのではなく、相手との関係性によって決まる。そして年齢を重ねるとほんのわずかだが、対象との距離が変わってくることに気がついた。だからスナップは面白い。
渡部さとる
1961年山形県米沢市生まれ。日本大学芸術学部写真学科卒業後、日刊スポーツ新聞社に入社。スポーツ、報道写真を経験。同社退職後、スタジオモノクロームを設立。フリーランスとして、ポートレートを中心に活動。2003年よりワークショップを開催。
最近ではすっかりYoutube「2B Channel」の人として認識されている。おかげさまでその功績が認められて第33回「写真の会賞」特別賞を受賞しました。現在慶應義塾大学大学院非常勤講師でもあり、近著には『撮る力見る力』(ホビージャパン)がある。
Satoru Watanabe@watanabesatoru2b