ひと月かふた月に一度、GRからPCへデータを移行する。その間何を撮ったのかは、ほとんど記憶から抜け落ちている。バックアップしたデータをざっと確認して、ああ今月はこんな感じだったなと、その抜け落ちていた記憶を補完する。自分では割と日常風景やスナップを撮っているつもりなのだが、実際に記録されている写真を見てみると、割合風景写真が多い月がある。元々、私は風景写真を良く撮影していた。特に、写真が好きというよりも、印画紙に焼き付けられた画像の階調とそのプリントそのものが好きだった学生時代だ。
私が学んでいた東京工芸大学の写真学科では、その頃、細江英公先生が教鞭を執られていた。先生が担当されていた「写真芸術学」では、いつも様々な作家のオリジナルプリントを持ってきてくれて、その作家の解説をしてくれた。その中で今も鮮明に思い出せるのは、ある日の授業で古写真を持ってきてくれた時の景色だ。「これは、僕が持っているなかで最も古い写真だよ」と見せてくれたその写真は、うっすらとだけ灯りをつけた教室のなかでぼんやりと浮かぶ、今にも画像が失われてしまいそうなほど褪色が進んだプリントだった。「どうだ君たち、写真は美しいだろう」と先生は微笑んでいた。
その日以来、私は「美しいプリント」を作ることに没頭するようになった。先生が持つ異常なまでの写真への情熱と執着は、強固な哲学や技術、知識、経験に裏付けられたもので、それまでは話を聞けば聞くほど、自分などが写真をやっても仕方がないのではないか、先生の写真を見るだけで十分だと思っていた。そんな中で、ひとつだけ目標というか、自分でも少しは近づけるのではないかと見出した光が、プリントを作ることだった。階調性に優れた、美しいプリントを作るということだけを、まずは目指してみよう。そうしたら、何か次が見えてくるかもしれないと、当時の私は考えていた。
プリントを作ることが目的であるため、モチーフはそのために適した被写体であればなんでも良かった。お手本のひとつは、考えるまでもなくアンセル・アダムスの風景写真だったから、自分も風景写真を撮影した。撮影とネガ現像、プリントをひたすら繰り返すうちに、なぜ順光に照らされた山肌や海岸の流木、雪や霧をまとった柔らかな風景が良い階調を描くのかが分かるようになった。それから少しずつ、自分なりに被写体を探すようになった。人物やスナップ写真を撮影するとき、光や質感に注意するようにもなっていった。
あの時先生が見せてくれた、ほとんど消えかけた一枚の写真があったから、今も私は写真の魅力に取り憑かれ続け、制作し、研究しているのだろうと思う。写真に対する情熱のようなものだけは、細江先生に少しだけ近づけたと思いたい。
今年(2024年)、9月16日に、細江英公先生が亡くなられました。先生が残された本当に多くの後進のひとりとして、私が受け継いだなにかも、これから写真を志す学生たちに伝えていきたいと思っております。先生から頂いた生前のご厚情に深く感謝いたします。
大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
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