写真を撮らないなら、できるだけどこにも行きたくない。
旅にでかけて、もしカメラを忘れたことに気づいたら、空港の家電量販店で真っ先にカメラを買うだろう。一方で、カメラを持ち歩きたくないという、まったくもって相反した思いがある。写真を撮るなら、一歩でも多く、一つでも多くの路地に歩みを進めたい。重いカメラは、その足枷になる。どこか旅に行くときには、どれだけ機材を持たないかが重要だ。結果的に、レンズ交換式の一眼レフかミラーレスのカメラボディ一台にレンズ一本、それとGR。大体その組み合わせになる。
今回の目的地、スウェーデンの首都ストックホルムにも、例に倣って同じセットを携えて向かった。旅とは言っても、大学の仕事の一環で、正確には出張である。十日間ほどの滞在中、毎日何かしらの会議や講演があったから、写真を撮れるのは移動の途中。あるいは、開放された夕方以降に、その日の酒を飲むためのバーを探す道中だ。
訪れたのは、まだ冬が始まったばかりの11月後半だったが、朝晩は気温が-5度ほどになり、常に上着を羽織る必要があった。朝、8時過ぎにホテルを出るとまだ暗く、少し歩いているうちに段々と明るくなる。太陽の角度はなかなか上がらず、昼前まで斜めの光が差し、明るくなったかと思えば、14時を過ぎる頃にはまた日が落ちていく。日中のほとんどを、色温度の低い暖色の光が街を包んでいる。時差ボケもあり、穏やかで静かな光のなかで過ごした最初の数日は、なんとなく頭がすっきりとしなかった。ただ、変に高揚せず、なんでもないような日常の光景に自然にレンズを向けられたような気がする、と言えば決して悪くはなかったのかもしれない。
ストックホルムで出会った人々も、皆穏やかで、街にもどこかゆったりとした雰囲気が満ちていた。今までに訪れた欧州は、パリにしてもベルリンにしてもどこか忙しなく、あまり東京と変わらないような感覚があったが、ストックホルムはそれに比べると大分おもむきが異なるように思えた。別な都市で言えば、なんとなくオーストラリアのメルボルンあたりの時間の流れ方に似ているような気がした。
滞在中、後半は雪が降り、冷たい風が吹いていた。街には明らかに人影が少なくなったが、それは、私に撮って撮影する理由そのものだった。そんな風に身体が動かされることが、「写真」を行うということなのだと思う。遠い場所に行くとか、珍しいものを見るということとは関係なく、写真が、全てを「旅」にしてくれる。私は、ただ写真を撮っていたいだけなのだろうと思う。
大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
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