【コラム】「花」と写真/大和田良

2025.04.25 BLOG

花を撮ることを、長い間避けてきた。
正確に言えば、花の写真を作品として扱うことを避けてきたということだ。十代の頃、写真を始めたばかりの私は、花そのものを比較的よく撮っていた。しかし、大学で写真を学び始め、生半可に多くの写真家の作品や言説に触れるうち、いつしか「花を撮るのはテーマが枯渇した証」「花や空は写真家にとって晩年のモチーフだ」という思い込みのようなものが心の奥底に根付いてしまったように思う。

二十代の頃は、何よりも作家としての実績を築くことに執心し、コンペティションやアワードで選ばれる作品を懸命に分析しながら眺めていた。その中で、花をテーマとした作品はほとんど目にすることがなかったし、新たな視点で花を捉える可能性など、自分には到底思い描けなかった。

それでもなお、アーヴィング・ペンやロバート・メイプルソープ、ロン・ヴァン・ドンゲン、イモージン・カニンガム、カール・ブロスフェルトといった写真家たちが撮影した花の作品には心惹かれ続けていた。彼らの写真集を手に取り、その美しさと深みに何度も目を奪われながらも、自分自身がその領域に足を踏み入れることはどこか恐れていたのかもしれない。花の写真に対する憧れと忌避は、奇妙な均衡を保ちながら、長い時間をかけて私の中で醸成されてきたように思う。その捻れとも、拗れとも言える妙な感覚が、最近になってようやく自分自身の感性の一部として定着した。それが形を得て、『FLORA/ECHO』という作品となり、展覧会と写真集を世に送り出すことができた。

この作品群は、観察的な視点で明瞭に撮影された花や植物を、ルーメンプリントと呼ばれるオルタナティブな写真技法でプリントしたものだ。大学で、写真材料の実験として始めた試みがきっかけだった。ある程度研究成果が得られた段階で、その技法を作品に応用しようと選んだモチーフが花だった。写真の発明者のひとりであるW・H・フォックス・タルボットが残したシダのフォトグラムに代表されるように、花や植物は写真家にとって原初的なモチーフであり、それゆえ、写真感光材料を用いた研究や実践にはふさわしい選択だと思えた。


制作の過程で、近くの公園や河原へ植物採集に出かけるようになり、それ以来、花の咲く風景をスナップすることも増えた。こうして私が四十代半ばにして花へレンズを向けるようになったことは、写真家として晩年を目指す兆しなのか、それとも単純に花という被写体への思い込みが霧散しただけなのか、自分でも定かではない。ただひとつ言えるのは、今では花を避けるべき対象だとはほとんど考えていないということだ。

それでもなお、花は難しい。撮ることも、作品として昇華することも容易ではないテーマであり、モチーフだと改めて感じる。私と花はどのような関係を築いていくのか。そして写真における花とは何なのか。その答えを探しながら撮り続け、作り続けるしかないのだろう。



大和田良
1978年仙台市生まれ、東京在住。東京工芸大学芸術学部写真学科卒業、同大学院メディアアート専攻修了。2005年、スイスエリゼ美術館による「ReGeneration.50Photographers of Tomorrow」に選出され、以降国内外で作品を多数発表。2011年日本写真協会新人賞受賞。著書に『prism』(2007年/青幻舎)、『五百羅漢』(2020年/天恩山五百羅漢寺)、『宣言下日誌』(2021年/kesa publishing)、『写真制作者のための写真技術の基礎と実践』(2022年/インプレス)、詩人のクリス・モズデルとの共著『Behind the Mask』(2023年/スローガン)等。東京工芸大学芸術学部准教授。
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