SPECIALコンテンツ第三弾は、作家・写真家の藤原新也さんの登場です。GRを持ってParisを歩いた追体験を、たっぷり堪能ください。
hide camera
中国は漢の時代に向かうところ敵なしの弓の達人がいて弓を争う相手に困っていたところ、西方の高山に弓の達人がいると耳にした。そこで彼は弓を携え旅に出る。
出会ったのは年老いた白髪のよぼよぼの老人で拍子抜けしたが、試合を申し込む。だがいざ試合になっても老人の手に弓はない。
解せぬ思いで彼は四方の空に飛ぶ小鳥に矢を放ち十羽のうち七羽を落とした。だが老人の番になっても翁の手は空っぽでただ空を見ている。
そのうちに小鳥が空を過ぎると翁はフッと息を吐きながら小鳥に視線を投げる。
瞬時に小鳥は落下し、実に百発百中。弓の達人は驚嘆する。
彼は本当の弓の達人は弓を持たぬものなのだと悟り、山に籠もって修行に励む。
私は自分の肩にカメラがぶら下がっているのをいつも邪魔だと思っている。
当然三脚やカメラボックスなど持ったこともない。日常的に外出する時などほとんどカメラを持たない。
そういう意味ではスマホはありがたい。携帯電話はどうしても必要だからポケットにしのばせる。
昨今はこのスマホのカメラ機能が向上して「あ、ちょっとこれ撮りたい」と思ったらポケットから取り出せばよい。ズボラにも時にはスマホで撮った写真を連載雑誌の見開きに使うこともある。漢の時代の弓の仙人にやや近づいているのである(笑)。
だがスマホには限界がある。
デュアルレンズや各種現像ソフトを駆使したところで悲しいかなスマホ画像はスマホ画像である。
そこでGRの登場となる。
私は歴代のGRを使っているがこの“弓”は弓を持たない仙人の域に近づいている。
なにせシャツの胸のポケットに入る。左胸のポケットから右手でヒョイと取り出し、そのままシャッターを切るというスタイルが定着しているのである。嬉しいことに小僧のクセに画質に厚みがある。
今回掲載するのは昨年の末パリに行った折のストリートショットである。モンマルトルのムーランルージュ通りはまるでロスアンゼルスのハリウッド通りを彷彿とさせ、かなりケバい人々が妙に上気して往来している。
このパリらしくない光景に惹かれて矢継ぎ早にシャッターを押した。誰も気づかなかった。
それは気配を消した撮る側の立ち居振る舞いも必要だが、手の中の黒子のごときGRというhide cameraのなせる技でもある。
つまり私はその時、ほぼ弓を持っていなかったのだ。
その弓を持たないというのはそこにカメラがあることを感じさせない写真という二重の意味がある。
藤原新也
藤原新也(ふじわらしんや)
1944年北九州市門司区生まれ。
東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻中退。写真と文章を相互に融合させて、旅や死生観をテーマにした作品が圧倒的な力で若者の心を掴んできた。1972年デビュー作品『印度放浪』は当時の若者のバイブルになった。1977年、『逍遙游記』他で第3回木村伊兵衛写真賞。1981年『全東洋街道』で第23回毎日芸術賞受賞。
世相を切り取り常に話題となる写真と文章を紡ぎ続ける写真家であり作家である。絵画作品も多く、近年は書の制作も手がける。
印度放浪(1972年)、西蔵放浪(1977年)、七彩夢幻(1978年)、逍遙游記(1978年)、ゆめつづれ(1979年)、全東洋街道(1981年)、東京漂流(1983年)、メメント・モリ(1983年)、乳の海(1986年)、アメリカンルーレット(1990年)、少年の港(1992年)、南島街道沖縄(1993年)、ディングルの入江(1998年)、千年少女(1999年)、俗界富士(2000年)、バリの雫(2000年)、鉄輪(2000年)、花音女(2003年)、渋谷(2006年)、死ぬな生きろ(2010年)、書行無常(2011年)、沖ノ島(2017年)
http://www.fujiwarashinya.com
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